三重ブログ

忍者疑惑!?俳人・松尾芭蕉の疑惑と「おくのほそ道」の関係

奥の細道以外でも有名な松尾芭蕉

「奥の細道」で有名な松尾芭蕉、全国を歩き回ってたくさんの名作を世に送り出しました。
実は彼、百姓の生まれながら姓を名乗っていたなど謎の多い人物であり、さまざまな憶測が流れています。
実は忍者で有名な伊賀国生まれというのもスパイスが効いてますね。

松尾芭蕉の謎が深まるエピソード

記録によると、奥のほそ道の時にはなんと1日50km移動していた日もあるのです!
50kmといえば、津市役所から直線で志摩スペイン村付近までと、歩くにはなかなかハードな距離。現代の舗装されている道とは違い山あり谷ありの道中に加え、江戸時代の平均寿命は45歳、芭蕉も当時45歳という悪条件。移動のスピードが速すぎるとは思いませんか?

しかし、伊賀忍者として体を鍛えていたなら、不思議ではないかもしれませんね。また、江戸時代も現代と同じく旅にはお金がかかったにもかかわらず、芭蕉は何度も旅しています。
このことから、幕府に頼まれたスパイ説も浮上しています。伊達政宗のいる仙台を偵察する密偵のカモフラージュとして奥の細道を纏めたという説も・・・。
奈良時代は忍者のことを「細人(しぬび)」といったそうですが、だから「奥の細道」という名前をつけたといううがった見方もできてしまい、調べれば調べるほど謎は深まるばかりです。

服部半蔵=松尾芭蕉

服部半蔵も詩を詠むのが好きで、晩年は名前を変え全国を旅したといわれており、何だか共通点を感じますね。
そういった背景からも、松尾芭蕉=服部半蔵との推測もあり、都市伝説にあふれています。

芭蕉は三重出身ではありますが、活躍の場を全国とし、最後の旅の途中に体調を崩し大阪で亡くなりました。
辞世の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」ですが、本人はそんなつもりはなく、まだまだ旅を続けるつもりだったのかもしれませんね。