三重ブログ

日本最東端「南鳥島」の開拓者・水谷新六は三重県人って知っていますか?

本州から約1,800キロ離れた小笠原諸島のひとつであり、日本最東端として知られる「南鳥島(みなみとりしま)」。行政区分上では東京都小笠原村であるこの南鳥島、実はその開拓者が三重県人だったこと、知っていますか?

今回は、南鳥島とその開拓者である水谷新六にスポットを当てて、ご紹介していきます。

 

南鳥島とは?

南鳥島は日本最東端に位置し、面積は約1.5平方キロメートル、1周約7キロ、標高は9メートルの隆起サンゴ礁からなっています。形はほぼ正三角形、現在一般人は居住していません。

気候はサバンナ気候で年間平均気温は25度前後。海上自衛隊や気象庁の施設があり、数十名の職員が業務にあたっています。2012年には東京大学の研究チームにより、南鳥島周辺の海域にレアアース(希少類)を発見したことが発表されました。

南鳥島は、日本最東端として排他的経済水域に関連する重要な島であるのはもちろん、豊富な天然資源が眠る海域でもあるのです。

 

水谷新六と南鳥島

南鳥島は1543年にスペイン人が発見したといわれています。その後いくつかの訪島者を経て、1896年に水谷新六が上陸することになります。そもそも南洋方面で資源探索をしていた際に遭難し、漂着したことが発端ですが、島を調査して事業開拓に有望だと感じた水谷新六の目利きはすごいといえるでしょう。

その後水谷新六は、小笠原から20数名を移住させ、日本政府に島の貸与を願い出ました。1898年には「南鳥島」と命名され、東京都小笠原村の所属と定められています。明治末期から昭和初期にかけて、アホウドリを捕獲して鳥毛を採集し、鳥糞やヤシ油の採取などが行われていたようです。

 

水谷新六とは

水谷新六は南鳥島を語るにあたり、なくてはならない存在です。そもそも1850年、現在の三重県桑名市に川上松蔵の次男として誕生し、その後、東京に出て呉服屋で働きました。1883年に小笠原父島で雑貨店を開業したことで、南鳥島を発見するに至ります。

雑貨店を営み南洋貿易に関わるなか、無人島の探検にも熱い野望を抱いていたとされる水谷新六。漂着した当初は、南鳥島はすでに「マーカス島」と呼ばれていました。しかし開拓をはじめたタイミングが功を奏し、その後アメリカとの領有問題が検討された際に日本領土として認められることにもつながっています。

晩年の水谷新六についてはあまり詳しく知られていませんが、南鳥島の開拓をし、日本領土となる要因となった重要人物として、これからもその名前を忘れられることはないでしょう。