三重ブログ

立見尚文 東洋一の用兵家。幕末明治期・最強クラスの軍人

幕末~明治の偉人として有名な人物は、薩摩、長州など討幕派諸藩に集中している傾向があります。

しかし、ここ三重県の桑名藩にも軍人として輝かしい実績を持つ人物がいることをご存知ですか?

今回紹介するのは立見尚文(通称:鑑三郎)。
幕末には、新政府に敵として立ちはだかりましたが、その軍事指揮能力を買われ陸軍大将(陸軍のトップ)にまで昇りつめました。

早速、どんな活躍をした人物なのか見ていきましょう。

 

幕末期の活躍

桑名藩士として藩の外交官を勤めた後、幕府の陸軍へ出向。
ここでフランス式用兵術を学んだことが、彼の軍人人生に大きく寄与します。

1868年1月の戊辰戦争勃発後、立見の人生は一変。

京都の鳥羽伏見の戦いに、桑名藩が組織した雷神隊員として参加します。
ここから終戦まで、東日本各地を転戦。
宇都宮では土方歳三と共闘し、一時は宇都宮城を落城させます。
またその後は会津から長岡へ転戦し、ここで長州の山県有朋が率いる奇兵隊に勝利します。
最後は、雷神隊隊長として庄内藩領で薩長に降伏しました。

 

明治期の活躍

戊辰戦争の後、謹慎生活を送っていたのですが、
世間では、政府に冷遇された士族(元武士)反乱が各地で頻発していました。

戊辰戦争で発揮した指揮能力を高く評価され、
士族反乱を鎮圧する戦力として明治陸軍に入ることになります。

西郷隆盛が主導した西南戦争では、陸軍少佐として一個大隊を指揮。
日清戦争では、陸軍少将で歩兵第10旅団長。
そして、日露戦争では陸軍中将として第8師団を率いて参戦します。
ロシア軍の猛攻を食い止める活躍をし、日本の勝利に決定的な仕事をしました。

 

エピソード

立見尚文が有能な軍指揮官だったことを証明する
エピソードが残っているのでご紹介します。

ー幕府陸軍時代のフランス人教官ー
立見は天成の軍人である。ナポレオンの頃フランスに生まれていたら恐らく30歳になる前に将軍になっていただろう。

ー陸軍大将 野津道貫ー
東洋一の用兵家 である。

ー薩長出身の幹部格が幕末の話をしていた時ー
立見尚文から「お前はあの時私の目の前から逃げ出した」と言われて、頭が上がらなかったと言われている。

ー山県有朋ー
戊辰戦争の際に、何度も苦しめられていたので生涯避けていた、という話もある。

 

旧幕府出身者でありながら、能力と実績で陸軍大将(陸軍のトップ)にまで昇りつめた生粋の軍人。
残念ながら関係史跡などは残っていませんが、本人を題材にした本は数冊出ています。