三重ブログ

日本の未来を変えたかもしれない事件!神君・伊賀越えとは?

歴史には多くの分岐点があり、その時の事件や判断の積み重ねで現在がありますよね。

その事件が起きなければ、その時の判断が違っていたら今の世の中はなく、私たちもいなかったかもしれません。

三重県にも日本の歴史を左右した事件がいくつもありますが、その中でも特に有名なのは『神君伊賀越え』ではないでしょうか?

今回は三重県を舞台にした、日本の歴史の分岐点の一つ『神君伊賀越え』についてご紹介します。

 

伊賀越えって何?

伊賀越えとは、戦国時代の日本において都や皇居に近い地域である畿内から伊賀国を経由して、東国という現在の関東に向かうことを指します。

そして神君とは後に江戸幕府を開いた徳川家康のことで、『神君伊賀越え』とは徳川家康が畿内から伊賀国を抜けて東国に渡った、という事柄です。

その道のりは険しく、命を落としかねない危険なものでしたが、伊賀出身の服部半蔵や甲賀者の護衛もあって徳川家康は無事に伊賀越えを成功させました。

また、その縁から徳川家康は伊賀と甲賀の忍者組織を手に入れることになり、徳川家康はまさにピンチをチャンスに変えました。

この伊賀越えをしなかったら、または徳川家康が伊賀越えの途中で命を落としていたら、現代の日本は無かったかもしれませんね。

 

なぜ徳川家康は伊賀越えをしなければいけなかった?

そもそも、なぜ徳川家康が命の危険を冒してまで伊賀越えをしなければいけなかったのか、そこにはもう一つの歴史的大事件が関わっています。

徳川家康が伊賀越えをおこなった1582年、この年は日本の歴史の中でも特に有名な事件である『本能寺の変』が起こった年でもあります。

天下統一目前だった織田信長が配下である明智光秀の謀反によって燃えさかる本能寺で自刃した、と言われる日本人なら誰でも知っている事件ですよね。

この本能寺の変が起こった時、畿内を見物中だった徳川家康は知らせを聞いて、自分も織田信長の後を追って自刃する覚悟を決めたと言われています。

しかし、部下であった本多忠勝の説得により、織田信長の仇を討つべく体勢を整えるため、一度東国へ向かう決意をしました。

この本多忠勝の進言がなければ後の関ヶ原の合戦や江戸幕府もなく、全く別の歴史になっていたかもしれないことを考えると、歴史って面白いですよね。

 

日本の歴史の分岐点を感じてみましょう

三重県を舞台とした『神君伊賀越え』は、歴史上の大事件の直後に起きたもう一つの大事件と言えます。

この事件には様々な判断、事件、決意が絡んでいて、その一つでも違えば歴史は変わり、現代の日本は今とは全く違う姿をしていたかもしれません。

それが良かったのか悪かったのかは判断が難しいところですが、三重県に足を運んだ際には、歴史が変わったという場所の景色を感じてみてはいかがでしょうか。