【桑名の刀工・村正】徳川家が恐れた「妖刀」とは

  1. 三重北勢

数年前から「刀剣ブーム」が続いています。
このブームの中心になっているのは、刀剣を擬人化したキャラクターが登場するゲームにハマる「刀剣女子」と呼ばれる女性たち。

元来、日本刀には刀剣女子でなくとも魅了される美しさと存在感がありますね。
なかでも「村正」と呼ばれる日本刀は数々のエピソードがあり、日本刀を語るうえで避けては通れない名刀。そんな日本刀を作った刀工・村正、実は桑名市に住んでいたことが知られています。

村正とは

村正

村正は千子村正(せんごむらまさ)とも呼ばれる日本刀の刀工。現在の桑名市にあたる伊勢国桑名に住居を構えていたとされます。
場所としては、三岐鉄道・北勢線の馬道駅そばの勧学寺(走井山)付近と言われています。この近辺は当時、刀作りには欠かせない良質な水に恵まれていたそう。

初代の村正は岐阜県の「関の刀鍛冶」の流れを汲んでいました。それ故に村正が作る日本刀は切れ味が鋭く、武士なら一度は持ちたい憧れの逸品だったと言われています。

妖刀・村正

徳川家 家紋

「妖刀」と表現されることが多い村正。何だか不気味ですね。
妖刀と呼ばれる理由は徳川家が関係しています。

徳川家康の祖父・松平清康が殺害された時に使用されたのが村正だったと言われています。
それだけではなく、家康の父・松平広忠が殺害された時に敵が使っていたのも村正。
妻の築山御前や徳川信康が殺害された時も村正だったと言われています。
こういったことが重なったため、徳川家では村正を持つことが禁じられたのです。そして徳川家に祟る刀として「妖刀・村正」の名が広まっていったのです。

村正の魅力

刀

徳川家とは逆に、村正を愛用・収集していた著名人もいたそう。
特に西郷隆盛と伊藤博文が有名です。つまり鎌倉時代や戦国時代、江戸時代だけでなく幕末の時代であっても村正の魅力は受け継がれていたのです。
倒幕派だった西郷隆盛らは競うように村正を求めたとか。当時、あまりの人気ぶりに多数の偽物が作られたそう。
本物の現存数は正確には把握されておらず、価値・評価もさまざまなんですね。

どこで見られるの?

日本刀の中でも一番人気があるのは「太刀」でしょう。
村正の太刀は「三重県有形指定文化財」となっており、桑名市にある桑名宗社が所蔵しています。なお一般公開はしていません。
過去に3回(2016年、2018年、2020年)桑名市博物館で企画展示されたことがあります。
残念ながら、次の一般公開はいつになるかはわかりません。その時はぜひ見に行かれてはいかがでしょうか。

村田

ロジセンスのアートディレクター/デザイナー。千葉で生まれ、東京で馬車馬のように働き、結婚を機に伊勢市に移住。家庭を優先しながら好きな仕事を続けている。三重で衝撃をうけたモノは、「とごる」、松阪牛のすきやき、アオサの味噌汁。

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