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県名「三重」の由来~『古事記』に記された本音と美しき地形~

県名「三重」の由来~『古事記』に記された本音と美しき地形~

かつて、三重県の大半は「伊勢国(いせのくに)」と呼ばれていました。
それがなぜ「三重県」と呼ばれるようになったのでしょうか。
歴史をたどりながら、県名「三重」の由来を見てみましょう。

県名「三重」はいつから?どこから?

「三重県」の誕生は1872年(明治5年)

「三重県」は1872年(明治5年)に誕生しました。

当時、安濃津県(津県、桑名県・亀山県・長島県・神戸県・菰野県)と
度会県(久居県・鳥羽県・度会県)
で構成されてい三重。

そんな中、安濃津県が安濃郡津大門町(現在の津市大門町)から
三重郡四日市の地(現在の四日市市北町)に県庁を移すことに。
それを機に郡名である「三重」を県名に使うことになったのです。

とはいえ、もともと「三重郡」に使われていた「三重」はどこから来たのか。
「安濃津」は港、「大門」は門前町、「四日市」は四のつく日に市が開かれた
ことを表しているのは、イメージしやすいのですが……。

「三重」はその文字から、
何かを三つに重ねたの?
三人の重役人がいたの?
三つの重たいものが産物だったの?
など、想像が膨らみますね。

「三重」の由来2つの説

『古事記』を研究し、注釈書『古事記伝』を執筆した本居宣長

1つが強力な『古事記』に記されたヤマトタケルノミコトの言葉。
ヤマトタケルは東方遠征の際、現在でいう桑名市から鈴鹿市に向かっていたところ、
四日市市付近で疲れ果て、『吾が足は三重の勾がりの如くして甚だ疲れたり』と嘆いたそうです。
しかし、それだけで終わらないのが歴史的な英雄。
続けて『故、其地を號(なづ)けて三重と謂ふ』と語り、三重という地名が生まれたのです。

もう1つが、「三重」の「み」は水、「え」は「辺」を表し、鈴鹿川の水辺に由来するという説。
「鈴鹿川」は日本酒の名前にもなっています。

英雄のお疲れ発言と美しい地形。
どちらが三重県にはふさわしいのか……。

三重の名付け親ともいえるヤマトタケルノミコトって?

歴史的英雄・ヤマトタケルノミコト


西暦72年-114年頃、第12代景行天皇の皇子。
漢字表記は「倭建命」または「日本武尊」。
当時の戦況は厳しく、逆境を数々の機転で乗り越えたことから「難局打開の神」とも言われています。
四日市で足が疲れた時は、どのように打開したのか気になりますね。

全国にある「三重」

大分県豊後大野市
長崎県長崎市
に「三重町(みえまち)」があります。

また、長崎市には「三重田町(みえだまち)」という地名も。

親近感がわき、どんな場所なのか興味深いです。

三重に込められた思い

長太の大楠

ヤマトタケルのような神と言われた英雄でも、疲れた時は心の内を打ち明け、無理せず休む。
無理に進んで動けなくなるより、一度、足を止めて休むほうが次につながる。
休むのは勇気があるから。

そして、豊かな自然に恵まれた三重。その誇りをいつまでも。

「三重」はそんなことを私たちに伝えようとしているのかもしれません。

2022.07.20Ninomi

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