実はこれも三重発祥なんです! 三重で生まれたおいしいものたち

  1. 三重の食

あなたの好きな「三重グルメ」は何ですか?
肉に魚介類に野菜、そしてお酒、三重にはたくさんのおいしいものがあります。

県外の人から伊勢うどんのことを「汁のないうどんなんてうどんじゃない!」「うどんっていうかみたらし団子!?」と言われても、ソウルフードだと思う気持ちは変わりません。

今回は、三重発祥の食べものに注目。これを知れば「三重グルメ」への愛がさらに深まるはずです!

名古屋出身だと思われているけれど、三重で生まれました

津市にある天ぷら屋のまかないとして生まれた「天むす」
写真はイメージです

【天むす】

味のついた小エビの天ぷらをご飯で包むように握ったおむすび。エビの天ぷら、ご飯、のりのバランスが絶妙で、きゃらぶきを添えるのが定番。

名古屋の名物として知られていますが、津市の天ぷら屋『千寿』さんで生まれました。
忙しくて従業員の昼食を作ることができず、商品でもある天ぷらを具としたおむすびを賄いとして出したのがはじまり。
裏メニューとして常連さんの間で好評を得ていた天むすは、その後、表メニューとしてデビュー。千寿さんは天ぷら屋から天むす屋となったわけです。

【味噌カツ】

ソースにからめるのが津の味噌カツ
写真はイメージです

名古屋めしとして認知されている味噌カツ。でも、実のところ、発祥は津市の洋食屋『カインドコックの家カトレア』さんです。
1965年、シェフが「洋食に親しんでほしい」と和食で使う味噌をソースとしてかけたのが発端。

名古屋の味噌カツとは味噌とそのつけ方が異なります。こってりした味噌をかける名古屋風に対し、
サラッとしたソースにからめるのが津の味噌カツ。

味噌カツは甘くてボリュームがあると思っていたなら、一度、津の味噌カツをお試しあれ。

知らなかった!? いちご大福が三重発祥なんて

知らなかった!? いちご大福が三重発祥なんて
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いちご大福がこの世に生まれたのは昭和60年頃。
比較的新しいこの和菓子、元祖は「うちだ!」という店が全国にいくつかあるのです。
三重では津市の『とらや本家』さんと伊賀市の『欣榮堂』さんが名乗りをあげています。

諸説はありますが、とらや本家のご主人と女将さんが大福にいちごをのせてみたら、あまりにもおいしくて、商品化したとのこと。その後、全国に広まったと言われています。

もっと知らなかった!? たい焼きも三重発祥なんて

たい焼きも三重発祥なんて
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市大門にあった食堂『日の出屋』さんが発祥だという通説があり。
日の出屋さんが作ったたい焼きを、東京や大阪の百貨店に出品していたとか。

日の出屋さんのご主人は、「どこが発祥でも関係ない」という名言を残しています。カッコいい~。
赤福やへんば餅のある三重県は、あんこのお菓子を作り出すのが得意なのだから、たい焼きも三重発祥だと信じます!

意外なものも三重で生まれています

織田信長が定着させたと言われている「弁当」

語源は中国・南宋時代の「便利なこと」を意味する造語「便當(べんとう)」だと言われています。

今の「弁当」を定着させたのは、言わずと知れた戦国の武将・織田信長で、
伊勢平定後の伊勢神宮参拝時に信長が配下の者に配った食事が「弁当」のはじまりだという説があるのです。
その頃の弁当は「一人ひとりに配る簡単な食事」を意味し、信長が大勢の家来たちに食べ物を与えていた様子がうかがえますね。

三重のグルメとして定着しなかったのはなぜ?

三重の県民性は穏やかでのんびり

三重の県民性が大きく関係していると考えられます。

・穏やか
・愛想がよい
・控えめ
・協調性がある
・のんびり

裏を返せば、おいしいものを惜しみなく皆に提供できる器の大きさがあるってことですよね。

やっぱり三重にはおいしものが溢れている!
発祥がどうであれ、この事実は変わらない。
三重グルメは私たちの自慢です。

Ninomi

ライター。旧久居市生まれ旧久居市育ち。大学時代を京都で過ごした後、三重に帰る。その後、四国、大阪、韓国、東京と様々な場所に住むものの、心はいつも三重県人。海・山・川があり、魚・肉・野菜、そしてお酒がおいしい三重は日本一の場所だと思っている。趣味は野球観戦、料理、スクラップブッキング。

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