三重の平成をたどる①_市町村合併「生まれ育った地への別れと新しい地への希望」

  1. 三重全般

2019年5月1日、新しい時代「令和」が始まりました。
この時、1年も経たず日常が大きく変わることを誰が予想したでしょうか。

令和になって数年、私たちは多くの我慢を強いられることもありましたが、
少しずつでも前に進む方法を模索しました。
在宅勤務やオンライン授業の導入、学校行事やその他イベントの開催方法を変更、
遠く離れた家族とのビデオ通話……。

そして、延期の末、開催したオリンピック。

そんな中、過ぎ去った平成の時代を振り返ることはなかったかもしれません。

今一度、私たちが生きた三重県の「平成」とはどのような時代だったのか、
県内で起こった出来事とともにたどりたいと思います。

今回はその1回目、三重県の市町村合併について振り返ってみましょう。

”平成の大合併”69市町村から29市町へ

”平成の大合併”69市町村から29市町へ

三重県には平成10年末、69の市町村が存在していました。13市47町9村です。
平成11年、旧合併特例法により、三重県内の市町村でも合併への取り組みが始まりました。

そんな中、先陣を切ったのはいなべ市。
平成15年12月、員弁郡の4つの町が合併し、三重県最北端の市「いなべ市」が誕生したのです。
「いなべ」というひらがな表記については、住民アンケートが実施されました。

続いて、平成16年には、志摩市、伊賀市、桑名市が、
そして、平成17年には合併がピークを迎え、
松阪市、亀山市、大紀町、南伊勢町、紀北町、伊勢市、熊野市が新制スタート。
また、この年には四日市市が楠町を編入しています。
平成18年には、三重県内最大の10市町村合併により新・津市が生まれ、
時を同じくして多気町、紀宝町、大台町の合併が進みました。

こうして三重の”平成の大合併”は、一旦、終息を迎え、現在(2022年9月)の29市町に落ち着いています。

市町村合併には2つの方法がある

先ほど、四日市市だけ「編入」という言葉が使われていることにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、市町村合併には2つの方式があります。
「新設合併」「編入合併」です。

三重県で多く行われた新設合併では、2つ以上の市町村が合わさり、1つの新たな市町になっています。
その場合、いなべ市などのように新たな名称がつく場合と桑名市などのように合併市町村のいずれかの名称を引き継ぐ場合があります。

ただ、名称を引き継いだとしても、条例・規則は廃止されます。
しかし、平成の合併で、三重県内唯一の編入合併により楠町を編入した四日市市は、
名称と条例がそのまま適用されています(合併による若干の改正はあり)。

三重県から村が消えた日

旧久居市戸木町(現津市)のかざはやの里に咲く梅

合併前、三重県には9つの村がありました。
最後に残ったのは多気郡宮川村
その宮川村は平成18年1月10日、大台町と合併し、三重県最後の村としてその名を終えています。

こうして三重県内には、すでに村は存在していませんが、日本全国には未だ180あまりの村が残っています。
しかし、その村も令和の時代には合併によってなくなり、新たな地名になるのかもしれません。

平成の半ば頃、合併により慣れ親しんだ地名がなくなることに、淋しさを感じた方もいらっしゃったでしょう。
当時は、無意識のうちに住所を書き間違えたこともあったかもしれません。
この合併で、市だったにもかかわらず唯一その名称がなくなった久居市では、
「久居」の地名を残したいという声が多く上がりました。

しかし、15年以上経った今、新しい地名に慣れ、住所を書き間違えることもなくなりました。
登録上、その地名がなくなったとしても、昭和から平成に私たちが生まれ過ごした記憶は、
令和でも忘れることはないはずです。

Ninomi

ライター。旧久居市生まれ旧久居市育ち。大学時代を京都で過ごした後、三重に帰る。その後、四国、大阪、韓国、東京と様々な場所に住むものの、心はいつも三重県人。海・山・川があり、魚・肉・野菜、そしてお酒がおいしい三重は日本一の場所だと思っている。趣味は野球観戦、料理、スクラップブッキング。

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