「送りオオカミ」といえば、危険なイメージを抱いてしまい「気をつけて!」と言いたくなりますよね。
でも、三重の民話に出てくる送りオオカミは、どうも危険な存在ではないようなのです。
「送りオオカミ」って何?
現在知られている送りオオカミとは、親切なふりをして女性を送り、隙あらば乱暴をしようとする男性のこと。
しかし、元々はオオカミの姿をした妖怪とも言われています。山道を歩く人の後をつけ、転んだり道に迷ったりしたところを襲うという言い伝えから転じて、現在の意味になったのです。
三重の民話に登場する「送りオオカミ」
民話❶「山に住むおじいさんとオオカミ」
おじいさんは山で小さな畑を耕して暮らしていました。
しかし、せっかくできた作物はイノシシに食べられてしまいます。
困ったおじいさんは、イノシシを捕えようと大きな落とし穴を作りました。
ある日、穴に何かが落ちていたのですが、それは狙ったイノシシではなく、オオカミでした。
おじいさんはオオカミを逃がしてやりました。
すると、それからというものオオカミは、おじいさんを家まで送るようになりました。
そんな中、次はその穴にタヌキが落ちました。
おじいさんは、オオカミと同じようにタヌキを助けてやりました。
でも、タヌキは穴から出た途端、かぶっとおじいさんの手に嚙みつきました。
怒ったおじいさんは、タヌキを殺してしまいました。
オオカミはこう言いました。
「せっかく助けてもらったのに、噛みつくなんて。もし噛みつくなら、俺に噛みつけばよいものを。そうしたら、タヌキは山の大将になれたのに」
(参照:『福娘童話集』)
民話❷「峰弥九郎ものがたり」
熊野に住む漁師・峰弥九郎(みねやくろう)。
ある日、弥九郎は新宮で用事を済ませて帰路についたのですが、山道で日が暮れてしまいました。
道中で一服していると、暗闇にギラリと光る目玉が見えました。
よく見ると、それは一匹のオオカミでした。
オオカミは喉に骨がつまり苦しそうにしていたので、弥九郎は抜いてやりました。
その後、帰路をついて来たオオカミに、弥太郎は「もうええから、お前も帰って休め。その代わり子が生まれたら一匹くれよ」と言いました。
半年後、弥太郎の家の前で一匹の子犬が鳴いていて、弥太郎の姿を見るとすぐになつくのです。
すっかりオオカミのことを忘れていた弥太郎でしたが、オオカミが約束を守って子をくれたのだと分かりました。
そして、「マン」と名付けて大切に育てました。
マンは評判になるほどのすばらしい猟犬となりました。
ある日、新宮の殿様が巻狩りを催し、弥太郎とマンも参加することに。
巻狩り中、大きなイノシシが殿様目がけて突進してくるではありませんか。
それを見たマンは素早くイノシシを退治。
命を救われた殿様は、弥太郎とマンにたくさんの褒美を与えたのでした。
(参照:三重県公式サイト『ふるさとの届けもの~伝えたい三重のおはなし~』)
2つの話ともに、オオカミの情の厚さ、義理堅さが伺えますね!
三重以外にも「送りオオカミ」はいるの?
送りオオカミは三重の民話をはじめ、岐阜県、和歌山県、岡山県など、日本に広く伝わっています。
そのエピソードには、まさに家まで送ってくれるオオカミ、危険から救ってくれるオオカミなど様々です。
また、オオカミではなく「送り犬」として伝えられている地域もあります。
その犬は、もとは妖怪だったり、道を歩いていて転ぶと飛ぶように走って来て人間をかみ殺したりするといった言い伝えも。
また、山を抜けたところで「ありがとう」とお礼を言ったり、帰宅後に無事を感謝して送り犬に何かを捧げたりすると、すんなり帰っていくという説があります。
私たちの思う「送りオオカミ」は、どちらかと言うと「送り犬」に近い気がしますね。
なぜ、オオカミだったの?他の動物でなくオオカミである理由
19世紀まで東北地域から九州にかけて生息していたと言われるニホンオオカミ。
ニホンオオカミは、田畑を荒らすイノシシやシカなどの野生動物を食べていたため、
農村では農作物を守ってくれる「神」として祀られていました。
「オオカミ信仰」という言葉があるように、古来、日本ではオオカミは人間を守る神でもあったのです。
また、「縄張りに入って来た他者を監視する」という特性があり、歩いている人間のそばをついていました。
その結果、他の動物がオオカミに恐れて近づけず、人間が守られることになったというわけです。
おわりに
こういったオオカミの特性から生まれる人間や他の動物との関係性が「送りオオカミ」という義理堅く情に厚い存在を作り出したのですね。
筆者は童話の影響からか、オオカミは弱い者をいじめる怖い存在だと認識していました。
そういった側面もあるのかもしれませんが、今回「送りオオカミ」について調べてみると、
それには背景や違う面があるとわかりました。
また、違う切り口で見てみると、オオカミへの見方も変わったと感じます。
そうです。何に対しても1つの情報や見かけから判断してはいけなかったのです。
語り継がれた送りオオカミは現代で、「アンコンシャス・バイアス」を気づかせてくれる存在なのかもしれません。
とはいえ、送りオオカミのよさを乱用しないように!