海女さんは、海に素潜りし、アワビやサザエなどの貝類や海藻の漁をしている女性たち。
『鳥羽・志摩の海女漁の技術』は国の重要無形民俗文化財に指定されているほど、大切なものなのです。
日本の、そして三重の伝統文化である「海女さん」について、見ていきましょう!
海女さんの歴史
縄文時代や弥生時代の遺跡から、鹿の角で作られた漁の道具や貝殻が見つかっており、
海女漁は2,000年以上前から行われていたことがうかがえます。
最古の記録は中国の歴史書『魏志倭人伝』の中にあると言われていて、
奈良時代に作られた和歌集『万葉集』には、伊勢国や志摩国などで素潜りをする様子が記されています。
海女さんの歴史はとても長く、その伝統と技術が今日まで続いているのですね。
覚えてる?老若男女に愛された「あまちゃん」
2013年4月~9月に放送されたNHKの連続テレビ小説(通称:朝ドラ)『あまちゃん』。
東京から北三陸に来た主人公・天野アキは、祖母の海女姿に魅了され、海女を目指すようになる。そんな中、友人との出会いもあり、地元アイドルにとしてデビューするというストーリー。
劇中のセリフでよく使われていた北三陸の方言「じぇじぇじぇ」も有名になりましたね。
当時、筆者のまわりでは「あまちゃん」を観ている人たちが多くいました。
朝のオンタイムでは観られず、「録画して観る」「土曜日の再放送でまとめて観る」など、
皆それぞれ生活の中で「あまちゃん」を楽しんでいたので、最終回後は「あまちゃんロス」になったものです。
現在、海女さんはどれだけいるの?
鳥羽市の「海の博物館」が行った調査によると、
2022年、鳥羽市と志摩市にいる海女さんは514人。
調査を始めた1972年には4,124人だった海女さんは8分の1に減ってしまいました。
前回調査の2017年から5年間では、146人減っています。
(参照『日経新聞オンライン』)
こうした減少は、海女さんの高齢化だけでなく、赤潮などでアワビや海藻が採りづらくなっていることも原因の一つです。
でも、鳥羽・志摩では今も全国の約半数の海女さんが活躍しており、
日本遺産ポータルサイトで日本一の「海女に出逢えるまち」として紹介されています。
海女小屋ってなに?
海女小屋とは、漁の後の海女さんの休憩場所。あるいは基地とも言えます。
囲炉裏の焚火を囲んで身体を温め、おやつを食べて仲間同士でおしゃべり。
そんな海女小屋は、海女文化を知ってもらうためのサービスを行っています。
採れたての魚介を海女さんが焼いてくれ、お話を聞きながら食事やお茶をいただくというもの。
また、海女さんのコスプレ体験ができる小屋もあります。
【海女小屋体験】
◆海女小屋 相差かまど
◆海女小屋 はちまんかまど
◆海女小屋体験施設さとうみ庵
◆火場・広の浜
海女さんよ、永遠に
海女さんは5,000年前からいたという説もあり、本当に長い年月を経て受け継がれてきた伝統と技術です。
海女さんを存続させるべく鳥羽市観光協会は「海女さん応援企画」を実施中。
この企画に賛同している鳥羽市の施設に宿泊すると、宿泊費の1%が鳥羽市観光協会に寄付されます。
集まった寄付金は、海女さんの後継者育成やアワビやサザエの稚魚放流に使われ、海女さん文化の維持・継続に役立ちます。
海女さん文化に触れ、伊勢志摩の海の幸を堪能してみませんか?