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人と仕事 Vol.1「世界一小さい工房から世界品質のエールを提供したい」
房出勝彦(ぼうでかつひこ)さん「エール工房de伊賀」経営
人と仕事は、どんな人が、どんな経緯で、どんな仕事に、どんな思いで取り組んでいるのかをお聞きするシリーズです。第一回は、三重県伊賀市の水田が広がる一角で、世界一小さいエール工房を20年以上に渡って経営している人がいると聞き、お伺いしました。
組紐の素材メーカーからエールメーカーに
「わが国では酒税の関係で分けられているビールと発泡酒、欧米ではどちらも同じ麦から作られた酒として親しまれています」と話すは房出勝彦(ぼうでかつひこ)さん(70歳)。10坪ばかりの小さな工房で、一回の仕込み量が400ℓ足らず(瓶で約1,000本)という少ロットのエールを丁寧に醸造しています。1970年、東京の大学を出て2年間会社勤めをした後、家業を継いで、伊賀地方の特産品の一つである組紐の素材(芯糸)の製造に携わりました。しかし、和装が減るとともに組紐の需要も低下。さらに追い討ちをかけるように、中国や韓国から輸入された安価な製品に圧されるようになり、手組みの組紐は廃れていきました。そのため転業を模索していた97年、上野市(現在の伊賀市)のサッカー協会が主宰する選手の交換交流行事で高校生20人を引率してドイツを訪問する機会があり、転機を迎えます。
エール造りのキッカケとなったドイツ訪問
訪問したのはドイツ北部のハノーバー市近郊にある田舎町。田園風景が広がる中で開かれた歓迎バーベキューパーティーで地元産のエールが振る舞われました。「そのエールは、まるで日本の地酒に抱くような親しみを覚え、強く印象に残った」と言います。当時の我が国では、ビールといえば数社の大手が製造するラガービール。エールはまだまだ珍しい存在でした。「伊賀の田園風景の中で楽しむことができる、地元の食材とともに楽しめるビール造りを次の仕事にしよう」と転業の方向性が見えたのがこの時でした。
黎明期にインターネットを利用、醸造関連情報を収集
帰国後、地酒ビール作りへの思いはさらに確かなものになっていきました。房出さんはこのサッカーの交流旅行の際、まだ黎明期だったインターネットで訪問先の現地情報を検索していました。それが役立ち、地ビール情報の収集にもインターネットを利用。「酒税法上のビールは、免許取得に最低60kl生産しなければならないが、発泡酒として作るエールであれば生産量は6klでよく、生産設備にかかる経費も10分の1ですむ」との情報をホームページから得ることができました。このホームページは神戸の貿易会社が運営していたもので、同社にコンタクトすると、一足早くエール作りを始めていた山口県のビアパブを紹介されて見学に行き、エール造りを決意しました。
「エール工房de伊賀」誕生
周囲一面が田んぼという立地もあり、山口県の醸造所のようなビアパブ経営は無理。しかし、親戚が営む飲食店を販路にすれば免許取得に必要な醸造量は確保できそうでした。製造プラントと原料となる麦芽モルトやホップは神戸の会社から購入可能。さらに、山口のビアパブのオーナーは元エンジニアで、プラント設置などの技術的なアドバイスを受けられる。資金も地元の銀行から調達できました。こうして生産の準備はスムースに進んでいったのです。そして、98年、製造免許取得後間もなく「エール工房de伊賀」と名付けた世界一小さなエール工房か製品第1号「かみなりアンバー」が誕生しました。味は、当初から造りたかったアンバー系の麦を深焙煎してコクを引き出し、ホップを利かせたエールです。「エール工房de伊賀」ブランドは坊出さんの命名ですが、ラベルは近所の人がデザインしてくれたものです。立ち上げの時は、近くのボウリング場を借りてサッカーのメンバーや近所の人、お世話になった人々約150人を招きお披露目パーティーを開きました。初めてのエール造りに苦労が多かったのではと質問したところ、「レシピに従えばエールは造れます」と意外な言葉が返ってきました。そして続いて出た言葉が、「ただ、どんな味にするかが課題」でした。
プラントも原材料も米国製
こうして創業した「エール工房de伊賀」は、製造プラントも原材料も米国製を利用しています。米国人の好みは、ギンギンに冷やしたライトビールをグビグビやるのがスタイルと思われがちですが、香りと、特徴ある味を楽しむエールも高い人気があります。そのため米国は地ビール作りが盛んです。小ロットの個性的なエールを生産販売するマイクロブルワリー向けから、家庭で好みのエールを作るホームブルワリー愛好家向けまで、あらゆるエール造りの資材が販売されています。生産を初めて一年たったころ、房出さんは自社エールのスタイルをより明確なものにするために渡米しました。訪れたのはシアトルとデンバー。マイクロブルワリーを訪問して調査したり、地酒コンテストを見学したりしながら、テイスティングを繰り返して、造りたいエールの味を絞り込んでいきました。
目指すは伊賀の水で造った伊賀の味
「うちは、地ビールブームの終わりかけの参入でした」。酒税法の改革で異業種から参入した多くの地ビール会社が去っていった時代にあって、米国訪問で得た経験は、多様なスタイルのエールを生み出す底力となりました。坊出さんは、「飲み方も、グイグイ飲むから、ゆっくりと味わう、に変化していきました」と当時を振り返ります。また、女性の社会進出を意識して開発したのが「芭蕉ウィート」。小麦麦芽を加えて苦味を抑え、心地よい酸味が後味に残るのが特徴です。「くのいちペール」も苦味を抑えたスッキリと飲みやすい仕上げが特徴です。
ひと月かけてゆっくりと醸造する
ゆっくり味わうエールは醸造もまたゆっくり丁寧に行われます。一度の仕込み量は400ℓ以下。煮沸窯でエールの原料である麦芽モルトとホップを煮沸して源液を造ります。その源液を熱交換機に通して酵母が活動できる温度に冷却。次いで、発酵タンクに移して原液に酵母を加えて発酵させて、一週間ほどかけてアルコール度数を高めていきます。その後、2〜3週間かけて熟成させて味を整えます。出来上がったエールは冷蔵室にある4本のサーバータンクに貯蔵。順次、樽や瓶に充填します。4本あるサーバータンクのどれかに空きができれば、新しく醸造をまた始めるという工程です。伊賀は盆地特有の寒暖の差が激しい所。「温度管理には気を遣う」と言います。「発泡酒は、酒税法で言うビールとは違い、使える原料の幅が広く、個性的な味わいや香が楽しめるエール作りができる」とその魅力を話してくれました。
忍泡(にんぽう)というエール
芭蕉」と「くのいち」は、ウィートとペール、味わいの異なるスタイルを持つエールに付けられた名前です。伊賀にちなんだ最たるものと思える「忍泡」は、味わいにこだわる房出さんだけに、何か変わったスタイルなのではと想像しました。ところが、「もちろん忍泡は忍法にちなんだものですが、単に業務用のラベルなんです。中に入れるエールは、飲食店の好みに応じて樽詰めするので、店舗ごとに味が違うんですよ。ちょっといいかげんかな」と苦笑混じりに説明してくれました。忍者と言えば伊賀忍者。忍者は今や世界に通じる言葉になっていて「忍」という漢字だけでNinjaと理解してもらえるほど。数年前、長野県の白馬栂池スキー場にあるレストランでプロモートアドバイザーをしている坊出さんの知り合いが、忍泡を面白がって紹介したところ、エール好きのオーストラリア人スキーヤーにその名前と味わいで大ウケしたと言います。コロナ前までは一冬で200ℓ程度出荷していました。白馬はオーストラリア人に人気のスキー場エリアです。アフターコロナを見据えて現地での生産が検討されており、房出さんにアドバイザリースタッフになってほしいとの声も上がっていると言います。
ドイツでエール作りのインスピレーションを得て、アメリカで味を選んで、伊賀で育ったエールが、白馬のレストランを通じてオーストラリア人の舌を唸らせます。世界を旅して、三重県で誕生したブランド。再び広く世界に羽ばたいてほしいものですね。
エール de 伊賀 https://www.alecraftdeiga.jp/
「人と仕事」シリーズ
人と仕事シリーズでは、三重を愛する人々が、仕事を通じて三重を盛り上げる様子についてお伝えしてまいります。
記事一覧
■人と仕事Vol. 2 伊賀の菓匠、和菓子と地元産栗ブランド化に情熱
■人と仕事Vol. 3 目指すは、ブドウ生産者のためのワイナリー