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人と仕事 Vol.5 いくつになっても水の中では頼れる男でいたい(松阪市・尾鷲市)
このカラフルな海中風景が三重県の海で撮影したものと信じられますか。三重県南部、東紀州の北部に位置する尾鷲湾で撮影したものです。大阪や名古屋、遠く関東圏からも、この美しい海を求めて多くのダイバーが訪れます。人と仕事vol.5は、三重県のダイビング界を黎明期から牽引し、松阪でダイビングショップを経営かたわら、今も尾鷲で現役のガイドを続ける中村俊夫さんを訪ねました。
中村俊夫さん(60歳)
ダイビングショップ「潜水屋」経営(松阪市)
尾鷲市で現地ダイビングサービスショップ「ダイブサイト・シードリーム」「梶賀ダイビングサービス」を運営
プロダイバーとして40年。水好きが高じてこの道に
中学生時代に出会ったスクーバの驚き今も
「現役で続けているレジャーダイビングのガイドとしては三重県でも一番古い一人なのでは」と話す中村さん。スクーバ(注1)との出会いは水泳部に所属していた中学生時代に遡ります。クラブの先輩がスクーバセットを持ってきて試させてくれたそうで「マスク(水中めがね)もつけず、25mプールの底を一周しました。息継ぎせずに潜っていられることに感動したことを今もよく覚えている」と言います。
次の出会いは、高校卒業後に就職した尾鷲ポートサービスで。当時、尾鷲に中部電力の火力発電所があり、同社は、給油中のタンカーの周りに張るオイルフェンスの管理のために船を多数抱えていました。そうした船のスクリューに絡まったロープを潜水作業で外すために潜水士免許を取得したのです。※注1.SCUBA(スクーバ) は、self‐contained underwater breathing apparatus(自給気式潜水器)の頭文字を並べた略称。背中に背負うタンクに充填されているのは一般に空気。
潜水技術は見習うしかない時代だった
「今もそうですが、潜水士免許は学科だけで取得できます。実技は魚の養殖筏の製作設置作業で潜水業務をしていた土井鉄工さんのダイバーに教えてまらいました」。耳抜き(外圧と内耳の圧力調整)の方法など簡単な説明だけで、いきなり、生簀の外側に沿って深度18mを超す深場まで潜水したそうです。
「潜水士免許を取った40年前というと、タンク1本なら潜水病にかからないとか、浮上速度は吐き出した泡を追い越さなければ良いといった、潜水技術見習うよりない荒っぽい時代でした」尾鷲ポートサービスでは、桟橋の下の点検や生簀の清掃などいろいろな現場を経験。「当時の生簀はの網は金属製だったのでフジツボなど付着生物を強力な高圧水流ポンプで洗う作業がありました」。水流の勢いで吹き飛ばされないようスパイク付きの靴を履き、ポンプを腹に抱え込んで固定して、片手で網をつかんで行う過酷な仕事だったそうです。
レジャーダイビングとの出会い
危険な水中作業に従事しているにもかかわらず、当時、水中作業に関わる保険がなく、その代わりとして、会社から提案されたのが経費会社持ちでのレスキューダイバー資格の講習でした。
「PADI(米国のレジャー潜水指導団体)の講習を5人が受講しました。この経験を生かして新規事業としてレジャーダイビングに進出してはと提案したところ、すんなりと受け入れられました」。会社は、いつかは火力発電は下火になると予想していたからだそうです。現に、尾鷲のシンボルだった火力発電所の煙突は撤去されてしまい、風景に物足りなさを感じます。
レジャーダイビングの世界は驚くことばかりだった
ダイビングサービスを始めるためにPADIの講習を次々と受講していきました。オープンウオーターから始まり、アドバンス、ダイブマスター、そして目標のインストラクーまで、約3年がかりの取得。講師は当時、松阪でダイビングショップを経営していた、現在はtec diving(高深度潜水)の第一人者である久保彰良さん。尾鷲まで出張しての指導でした。久保さんは「作業ダイバー相手の講習だと聞いて、最初は曲者揃いではと緊張したそうですが、蓋を開けてみると一番指導しやすい生徒だった」と後日、中村さんに話してくれたそうです。「例えば、マスククリア(水中眼鏡に入った水を外に出すテクニック)という用語一つとっても初めてのこと。講習は面白いことばかりでした」。プロダイバーなので実技はお手のもの。スキルをどんどん吸収していきました。
その間、尾鷲湾各所でダイビングポイントを探す潜水調査を行いました。そして1990年、尾鷲市街地から車で10分程度のところある行野浦の公園内に「ダイブサイト・シードリーム」がオープンします。最初のゲストは、恩師である久保さんの経営するガットが組んでくれたツアーで幸先の良いスタートを切ることができました。その後、「マリンダイビング」「ダイビングワールド」「ダイバー」などのダイビング専門誌に広告を出し、取材を受けながらゲストを増やしていきます。
リゾート構想で日本中が踊った時代
ちょうどその頃は、総合保養地域整備法(リゾート法)が公布施行(1987)され、日本中にリゾート構想が林立した時代でした。三重県にはすでに県南部を対象とした三重サンベルトゾーン構想があり, リゾート法承認第1号となりました。レジャーダイビングの知識を持つ中村さんたちに、この構想に適合するダイビングスポットの調査を担当するよう白羽の矢が立ち、紀伊長島から梶賀まで海底調査を行いました。三木浦と梶賀のダイビングスポットはその時のデータがもとになっているということです。
接客に役立った生来の笑わせ屋
シードリームをオープンした当時は、『彼女が水着にきがえたら』(主演・原田知世、1989年公開)の影響を受けてダイビングブーム真っ只中でした。若い女性がお免状感覚でダイビングのCカード(免許と呼ばれることが多いが、公的な免許ではなく認定証)を取得した時代。ウエットスーツの色も黒一色からショッキングピンクやパープルなどカラー化が進んだ時代でした。「若い人が多く、派手な時代でしたよ」と、中村さん。シードリームの店先の空き地でビキニ姿の若い女性がビーチチェアで日光浴を楽しんでいたそうです。
作業ダイバーが接客業に従事するのは大変だったのではと質問したところ、「人を笑わせるのが好きなんです。生来の笑わせ屋で、高校の進路担当の先生から、接客業が良い。寿司屋になったら」とアドバイスされたほど。
当時は、アフターダイブも盛んで、大阪や名古屋のショップチームとシードリームチームでショップ対抗のカラオケ大会を開催。中村さんはアルコールはからっきしダメですが、持ち前のサービス精神で、お客さんを笑わせ、一緒になって楽しんでいたそうです。シードリームは、ダイビングスポットへの起点となるクラブハウス。リゾート型のショップでは、そうした経験が、美しい海を見せるだけでなく、陸の上でも尾鷲の休日を楽しんでもらうこと大切という経営理念の基礎となったようです。
都市型ショップ・潜水屋を松阪に開店
順調に見えても、浮き沈みはあり、社内ではダイビング事業進出を批判する声も聞かれるようになりました。それが返って、利益を出すために一生懸命頑張る原動力になったそうです。シードリームでCカードを取得したお客さんが増えるとともに、串本など他のエリアへのダイビングツアーを組んで欲しいとのリクエストが出るようなりましたが、会社はゆるしてくれませんでした。
シードリームのマネージャーとして10年、そろそろ潮時かなと尾鷲ポートサービスを退職。2000年、松阪市内に「ダイブショップ潜水屋」をオープンしました。都市型ショップを運営することになり、積極的に念願のダイビングツアーを開催していきました。
シードリームを買い取り、リゾート型・都市型の二刀流に
2009年には尾鷲ポートサービスの親会社が中部電力に吸収されることになり、シードリームの経営を引き継いで欲しいとの依頼が来ました。自由にダイブボートを利用できる現地ショップを持つメリットは大きく、潜水屋オープンのためのに抱えた借金の上にさらに借金をして買い取りを決意しました。「潜水屋オープン時、家内には5年辛抱してくれと大見えを切ったのですが、20年経っても辛抱してもらっている」のだそうです。
さらに5年前には、尾鷲市梶賀町にもダイブショップ開店。「梶賀は荒天でも波が立つことが少なく、尾鷲ツアーを主催するショップさんには、シードリームがダメでも梶賀ならダイビングが可能なので好評です」。梶賀は、串本の荒天時の代替スポットとしても定着しており都市型ダイビングショップの稼働率アップにも貢献しているようです。
ゲストのダイビングスタイルに合わせた楽しみを提供したい
カメラを売るだけでなく撮影のお手伝いも
デジタルカメラが普及するとともに水中写真がダイビングスタイルひとつとして定着してきました。尾鷲の海は、色とりどりのウミウシやエビ、カニなど小さな生物から、フィリピンかと見間違うばかりの見事なソフトコーラルがお花畑のように繁茂しているので、クローズアップ撮影からワイド撮影まで楽しめると好評です。
「水中カメラの販売だけでなく、尾鷲ならではの水中写真撮影を楽しんでもらえるよう努力しています」。例えばマクロ撮影では、人気の撮影対象の生物が、どのポイントの、どの辺りに潜んでいるのか知ることが重要です。また生態写真なら産卵や孵化などの情報も必要です。そうしたマニアックな要望にも応えられるよう「熱心なスタッフが休みの日でも尾鷲に出かけ、自ら撮影しながら海洋生物の生態を研究をしています。また、この秋には、プロの水中カメラマンを招いて、カメラ派のお客さんの疑問に応える講習会を開催して」大変好評だったそうです。松阪の都市型ショップでカメラや機材を販売、尾鷲のリゾート型ショップでその扱いを実際に試せる二刀流のメリットは大きいようです。
ゲストの楽しみ方はさまざま
尾鷲の海は、生物ばかりでなく、ダイナミックな水中景観も魅力。30m以上の海底から切り立つやクレバス、波紋が美しい砂の海底にピラミッドのように積み重なった人工魚礁など。また、季節限定で入れる海底洞窟などがあり、そうした海底景観を心に刻みたいというお客さんも多くいます。水以外何もないところで浮遊感を楽しみたいゲストもいます。
「そうしたさまざまなゲストの要望に応えられるショップを目指しています。ダイビングはまだまだ高い遊びだと思っています。1回の潜水時間はだいたい30-40分程度、普通2回潜るので合計1時間少々のダイビング時間。そこに数万円をかけていただくわけですから、それ以上を満足を持って帰っていただきたい。そのために何より大事なのが安全。そのサポートをすることが仕事」だと言います。
ガイドはゲストの安全を見守るのが仕事
ダイビングはメンタルなレジャースポーツ
「ゲストのストレスが一番高まるのが水面です。例えば、ストレスの高い人に多くみられるのがスクーバの空気が吸えないと言った事例です。空気を吸い続け、吐き出していないだけのことなので、落ち着かせれば解消します。しばらくダイビングをしていなかったダイバーにはリフレッシュコースをお勧めしています。足が立つような場所からの潜水を始めて、大丈夫なようなら、そのまま生物観察や水中景観を楽しむ通常のファンダイブに切り替えたりします」。
「ダイビングはまだまだ特殊なレジャーだと思われています。事故が起きれば、”ダイバーが”と言われてしまします。ダイビングショップの経営は、リスクの高い仕事であることは確かです。もちろん、事故が発生した時の対処も重要ですが、それ以上に重要なのが事故の予防です。事故の予防は陸上でいくらでもできます。その一つがコミュニケーションでリラックスしてもらうことです」。潜水前にはブリーフィングと呼ばれるポイント説明が行われます。駄洒落が面白いと人気の中村さんのブリーフィングですが、重要なことをしっかりと伝えるだけだなく、緊張の緩和に役立っているのですね。
「ゲストがスクーバをセッティングする様子も、その人のダイビングスキルを知る上で大切です。ゲストの要望を聞いたり、様子を見守ることが事故の予防につながると思います。潜水屋のガイドスタッフは私を含めて5人です。そうしたこコミュニケーションから得た情報を考慮して、ゲストの興味やスキルに応じたダイビングポイントやガイドの選定をしています」。
今後の夢はと尋ねると「陸上では笑わせ屋でも、水の中では頼りになる男でいたいですね」とのことでした。水好きが高じて得た天職。日本一の長老ガイドになるまで頑張って欲しいものです。
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