伊勢神宮の式年遷宮が続いているのは織田信長のお陰

  1. 伊勢志摩

伊勢神宮ってどんなところ?

伊勢

「お伊勢さん」として親しまれている伊勢神宮は三重県伊勢市にある神社です。実は伊勢神宮というのは通称で、正式名称は地名のつかない「神宮」。

皇室の祖先神の一柱である日本神話の太陽神「天照大神」をお祀りする内宮と産業の守り神である「豊受大神」をお祀りする外宮をはじめ、合計125の宮社全てをふくめて神宮といいます。

天照大神を祀る神社は日本全国にありますが、神宮の内宮(皇大神宮)はその総本山であり、三種の神器の1つである八咫の鏡(やたのかがみ)をご神体として安置しています。

式年遷宮は神様のお引越し

神宮の木

伊勢神宮では2013年に第62回式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われました。式年遷宮は式年「定められた年(20年に1度)」に遷宮「ご神体をうつす」という意味です。

伊勢神宮の社殿は東西に同じ広さの土地があり、伊勢の神様は20年毎に東西の土地を行き来してきました。式年遷宮では単に正殿の建て替えを行うだけでなく、社殿や神宝・装束に至るまですべてを新調し、30を超えるお祭りや行事を重ねる大規模な祭事となります。

式年遷宮を行う理由としては、
・20年程度で建物の寿命がくるため
・次の世代に技術を伝承していくため
・すべてを新しくすることで神様が若返らせるため
などがあります。

式年遷宮を復興したのは織田信長だった

織田信長

式年遷宮は今からおよそ1300年前の685年に天武天皇が制定し、690年の持統天皇の代に最初の式年遷宮が行われました。しかし、国内の動乱のため室町時代には120年以上にわたって遷宮が行われないという危機に直面します。

その窮地を救ったのが当時実権を握った織田信長でした。神主たちの申し出に応じて信長は遷宮の費用を寄進しました。その後、本能寺の変で信長は倒れてしまいましたが、意志を継いだ豊臣秀吉によって1585年の式年遷宮が実現されました。江戸時代には徳川幕府が式年遷宮の費用を負担し、以後20年に1度の式年遷宮が続けられています。

また江戸時代にはお伊勢参りの大ブームが起き、日本人の6人に1人が参拝したという記録も残されています。

参考:伊勢神宮HP「式年遷宮の歴史」
https://www.isejingu.or.jp/sengu/senguhistory.html

中井

伊勢市二見町生まれ。高校まで伊勢で育ち、大学から三重を出てそのまま県外に就職。30歳の時、親の病気をきっかけに地元伊勢に戻る。2014年、株式会社ロジセンスを設立。自身のUターン経験から着想を得て、地元三重への地域貢献を目的にキャリアベース三重を立ち上げる。

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